“款”とはフキ、すなわちフキノトウの事。雪を割るようにして頭を出すフキノトウを見ると、春の訪れを感じます。候の名には“はなさく”とありますが、実際にフキノトウが花咲くのはもっと先。この頃は早くても茎頭が顔を出す程度なのではないでしょうか。
フキノトウは春の季語でもあり、桜・ツクシ・菜の花などと並んで春を象徴する植物のひとつです。山菜でもあるので、天婦羅や蕗味噌として味わうこともできます。子どもの時には嫌だったほろろとした苦みが、大人になると美味しく感じるのが不思議ですね。
金沢・北陸の茶道普及に尽力した裏千家第四代、仙叟宗室(せんそうそうしつ)の命日です。この日、菩提寺である大徳寺と金沢月心寺にて釜が掛けられます。
・仙叟宗室(1622~1697)……千宗旦の子。加賀前田家の茶頭。前田利常により百五十石と小松城三の丸の屋敷を下賜されている。京都と金沢とを行き来し、北陸の茶道発展に努めた。京都に利休堂を建て、侘茶文化を広めた。
黄と白のコントラストで福寿草を思わせる生菓子です。京都とらやの春のいでたちは、平成25年の宮中歌会のお題「立つ」をテーマとして製作されました。つくね芋で真っ白な雪を表し、冬から春にかけての芽吹きを表現しています。
大きく分けて「白葱」と「青葱」に分類されます。今でこそ場所の区別なくどちらも手に入りやすくなりましたが、元々は東日本では白葱、西日本は青葱が好まれていました。白葱は噛むほどに出る甘味が魅力。青葱はピリリとした香りが薬味として活躍します。
1年中購入しやすい野菜ですが、この時期には鍋のお供として特に需要が高くなっています。
蝋細工のような黄色い花弁を持ち、様々な花の中でもひときわ香り高いという特徴を持ちます。名に“梅”とついているので勘違いをされている方も多いですが、いわゆる一般的な「梅」とは別種です。一般的な梅はバラ科さくら属、蝋梅はろうばい科ろうばい属にあたります。見目が蝋細工のように
繊細であることと、旧暦12月の臘月(ろうげつ)頃から開花している事からこの名がついたとされています。
香り高いが故に、茶花として利用する際には少し工夫が必要です。茶香を妨げないためには、まだ蕾のものから少しほころびかけているものが適しているのではないでしょうか。蕾のまま用意して室温管理を行うことで、開花させないままの状態を保たせることができます。小ぶりでまんまるの蕾は愛らしく、他の花と合わせるのも素敵です。
御本茶碗のひとつで、鶴の絵が目を惹く割り高台の茶碗です。本来は低めの高台を三方から削り、割り高に見せているという工夫がなされています。“御本”というのはお手本をもとに作られたという意味で、この御本立鶴のお手本は三代将軍徳川家光の描いた鶴であるとされています。家光が描いた鶴の下絵を朝鮮に持ち込み、釜山窯で焼き上げられました。当時における文化の息遣いを感じる茶碗です。
1月も終盤となり、冬の終わりと春の到来を思わせる内容のものが似合いの頃です。春を扱った掛物を数が多く、選ぶのにも心が躍ります。
花が咲き、一円に春が訪れる様です。同時に長い冬を耐え忍び、ようやく花が開いて春が訪れる事から「長い苦労が報われる」といった意味も持っています。仏教においては報われるとは悟りが開けることですが、現代社会を生きる我々にとっては、その他の多くの意味合いを包括していると思ってよいのではないでしょうか。出典:『宏智禪師廣録』
春の日差しはどこに対しても広く平等に降り注ぐという意味です。即ち全てのものは平等である、という仏教の基本思想を表してもいます。略形であり、下句を略さずに記すると 「春色無高下 花枝自短長(しゅんしょくこうげなく かしおのずからたんちょう)」となります。短い枝にも長い枝にも同様に花が咲くように、仏の慈悲はどのような立場の人も平等に降り注ぎます。出典:『槐安国語』